介護の現場で長く働く中で、いつも感じるのは「清潔を保つことの難しさ」です。
けれど、本当に難しいのは、身体の清潔そのものよりも、“気持ちの清潔”をどう守るかかもしれません。
「自分でできていたことが、できなくなる。」
「誰かにやってもらわないといけない。」
その瞬間、人は想像以上に深く傷つき、戸惑い、恥ずかしさを覚えます。
私はそんな場面を、20年の介護の中で何度も見てきました。
だからこそ、「脱毛=生活ケア」という考え方を伝えたいのです。
清潔の裏にある“気持ち”という問題
介護の仕事をしていると、「清潔に保つこと」そのものが、実はとても繊細な問題だと気づきます。
清潔を保てないことが不快なのではなく、“他人の手を借りないと清潔にできない”という現実が、人の尊厳を揺るがすのです。
利用者の方の中には、介助を受けることに強い抵抗を示す方も少なくありません。
「自分でできているつもり」「申し訳ない」「恥ずかしい」「汚いと思われたくない」──
そんな気持ちが入り混じり、介助を拒むこともあります。
一方で、介助をする側の気持ちも決して軽くはありません。
相手の気持ちに配慮しながら、限られた時間の中で清潔を保つ作業を続ける。
それは技術だけでなく、心のエネルギーも必要とする仕事です。
介助する側の現実と葛藤(家族と介護職の違い)
介助を行うのは、介護職だけではありません。
家族が介助を担う場合、そこには特別な葛藤が生まれます。
長年連れ添った配偶者や、親子の間でも、排泄や陰部のケアには強い抵抗があります。
「恥ずかしさ」や「申し訳なさ」、
「汚いと思ってしまう自分が嫌になる」「親にこんなことをするなんて」──
そんな気持ちを抱えながら、介助を続けているご家族を、私は何人も見てきました。
介護職として働く私たちは、ある程度の慣れと技術があります。
排泄介助そのものを特別つらいと感じる人は多くありません。
けれど、だからといって「嬉しい」わけではないのも事実です。
特に、寝たきりで関節が拘縮している方の清拭やおむつ交換は、
限られた時間の中で的確に清潔を保つ必要があり、
介助する側の身体的負担も小さくありません。
介助をされる側にも、する側にも、
“気持ちの負担”と“身体の負担”が重なっている。
それが、介護現場のリアルです。
その距離をやわらげる手段としての「脱毛」
私は、脱毛を「介助を楽にする手段」というよりも、
「人と人との間の気まずさを減らすケア」として捉えています。
毛が少ないことで、汚れが落ちやすく、臭いも軽減される。
介助される側は「申し訳なさ」や「恥ずかしさ」が減り、
介助する側も「ためらい」や「不快感」が少なくなる。
それはほんの小さな変化かもしれません。
けれど、毎日のケアの中で積み重なる心の負担を少し軽くする。
その効果は決して小さくありません。
“脱毛=生活ケア”という考え方は、
清潔を守ることを超えて、「お互いを大切に思える介護」につながると思っています。
まとめ:清潔と尊厳を守る一歩として
脱毛は「見た目」を整えるためのものではありません。
これからを生きやすくするための準備です。
清潔を守ることは、自分らしさを守ること。
それは、介助される側だけでなく、介助する側の尊厳も守ることにつながります。
介護の現場から生まれたこの考え方を、
これからの生活ケアの一つとして、少しずつ広げていけたらと思います。