最近、ふと気づくことがあります。
若い頃よりも汗のにおい(加齢臭?)や体の変化が気になるようになった。
仕事や家のことに追われて、自分のケアはつい後回し。
清潔でいることは当たり前だったはずなのに、その“当たり前”を維持するのが少しずつ難しくなってきた気がします。
介護はまだ先の話──そう思っていても、親の介護を見て「清潔を保つことの大変さ」を感じた人は多いでしょう。
いつか自分も誰かに助けてもらう日が来るかもしれない。
だからこそ、なるべく気兼ねせずに、心地よく生活できる自分でいたい。
今回は、40代の今だからこそ考えたい“清潔を整える準備”についてお話しします。
※これまでの記事でお伝えしてきた
「脱毛=生活ケアという考え方」や
「清潔を任せるということの難しさ」を踏まえて、
今回は“いまの自分がどう備えるか”という視点でお話しします。
最近、自分の清潔に“ほころび”を感じていませんか?

40代になると、ふとした瞬間に「前とは違うな」と感じることが増えます。
50代になれば、その“違い”はよりはっきりしてきて、
自分の体や清潔のリズムが変わってきたことを実感する人も多いでしょう。
髪の毛のコシや肌の張りだけでなく、汗のにおいや体毛の変化、肌の乾きやかゆみ。
どれも大げさなことではないけれど、確実に“清潔の保ち方”が昔とは違ってきます。
若い頃は、少し汗をかいても翌朝シャワーを浴びればそれで済んだ。
でも今は、一日の終わりに自分でも「なんとなく気になる」ことがある。
加齢臭という言葉に敏感になるのも、体が変化している証拠です。
そして、もう一つ大きいのは生活リズムの変化。
仕事と家庭に追われて、運動する機会が激減した人も多いでしょう。
体が重く感じたり、以前より気持ちがすっきりしない。
「清潔感」という言葉は外見だけの話ではなく、
体を動かすことや代謝のリズムも含めた“自分の快調さ”のサインなのだと感じます。
清潔とは、ただ見た目を整えることではなく、「自分が気持ちよくいられる状態」を保つこと。
それが少し崩れるだけで、人との距離の取り方や気分まで変わってきます。
清潔感があると、相手も自分も気持ちがいい。
だからこそ、年齢を重ねるほどに“清潔を維持する力”が大切になっていくのです。
大切なのは、「清潔が保てなくなってから」ではなく、
「まだ保てている今のうちに」習慣を整えること。
それは大げさな美容ではなく、日々の生活を少しラクにするための準備でもあります。
今、自分の清潔に“ほころび”を感じたその気づきこそが、
将来の自分を守る最初のサインかもしれません。
親の介護で気づく、“清潔を保つ”ことの難しさ

親の介護を経験した人なら、清潔を保つことの難しさを実感したことがあると思います。
お風呂や排泄の介助、体を拭くケア。
それは単なる「手伝い」ではなく、人の尊厳に触れる行為です。
たとえ家族であっても、相手の肌に触れる瞬間にはためらいや戸惑いが生まれます。
介護をする側にとっても、される側にとっても、“清潔”はとても繊細なテーマです。
汚れを拭う行為ひとつ取っても、どちらにも「申し訳なさ」「恥ずかしさ」「遠慮」があります。
私自身、長く介護の現場にいて感じるのは、
清潔を支えることは、体力よりも気持ちのエネルギーを使う仕事だということです。
清潔を守ることは、人の尊厳を守ること。
そう頭では理解していても、実際に手を動かすとなると大変です。
毛が絡んだり、臭いが残ったり、思うように洗えなかったり。
介護する側にも余裕がない場合があります。
そんなとき、ふと考えるのです。
「もし自分が介護される立場になったら、どんな気持ちになるだろう」と。
汚れや臭いを気にしてしまって、心から人の手を借りられなくなるかもしれない。
そう考えると、清潔を“人に任せる”ということは、 実はとても勇気がいることなのだと思います。
誰もがいつかは、介助される側になるかもしれません。
そのとき、周りにできるだけ気を遣わせずに過ごせるように。
いまの自分が清潔をどう整えておくかが、
未来の自分の心の自由にもつながっていくのではないでしょうか。
自分もいずれ、誰かに清潔を任せる日がくる

親の介護を経験すると、「清潔を保つこと」は思っている以上に大変だと気づきます。
それを見ているうちに、ふと考える瞬間があります。
「自分が同じ立場になったら、どう感じるだろう」と。
体を洗ってもらう、排泄を助けてもらう――どれも生きていく上で必要な行為ですが、
もし自分でできなくなれば、“人に委ねるしかない行為”でもあります。
誰かに任せることは、信頼と感謝の裏で、どこかに“申し訳なさ”や“恥ずかしさ”が残るものです。
だからこそ思うのです。
なるべく長く、自分の清潔を”誰かに面倒をかけない”状態にしておきたい。
汚れや臭いを気にして心を閉ざしてしまうより、
「まあ大丈夫」と思える自分でいたい。
それは、誰にも迷惑をかけたくないという義務感ではなく、
自分が気兼ねせずに人と関われるようにするための“心の余白”の準備。
清潔を保つことは、“人としての最期までの自立”を支える小さな習慣なのだと思います。
40代の今は、まだ介護なんて先の話に感じるかもしれません。
けれど、親の姿を見て感じたあの小さな違和感こそ、
「未来の自分にできる備え」を考えるきっかけなのかもしれません。
これからの“清潔ケア”は、自分の生活を守る準備

介護の現場では今、深刻な人手不足が続いています。
訪問介護は特に担い手が減り、「サービスを受けたくても受けられない」ケースも出てきています。
将来、介護を必要とする人が増える一方で、支える人は確実に減っていく――
そんな未来が、もうすぐそこまで来ています。
もちろん、テクノロジーの進歩や外国人介護士の受け入れなど、新しい支え方も増えています。
けれど、言葉や文化の違いがあるなかで“清潔ケア”のようなデリケートな行為を頼むのは、
介助する側・される側どちらにも気を遣うものです。
そんな時代だからこそ、「自分の清潔をなるべく自分で整えられる状態」を維持することが、
これからの生活を守る現実的な備えになります。
“介護脱毛”という言葉にまだ抵抗を感じる人もいるかもしれません。
でもその本質は、見た目の問題ではなく、「清潔を人に委ねすぎないための自立ケア」なのです。
介護を受ける側になっても、自分の生活を自分で選び、気持ちよく過ごせるように。
40代のいま、少しずつ“清潔の習慣”を整えておくことは、
「老いを受け入れる」準備ではなく、「自分らしく生きる」ための準備です。
清潔ケアは、誰かのためではなく、自分の生活の快適さと尊厳を守るための行動。
その一歩が、未来の自分を少しラクにしてくれるのだと思います。
いまの自分を少し心地よくする。それが未来の備えになる

清潔を整えることは、誰かに見せるためではなく、
自分が気持ちよく生きるための小さな準備です。
髪を整える、肌を保湿する、体を清潔に保つ。
そのひとつひとつが、自分を大切にする時間であり、
将来の自分を少しラクにしてくれる“生活の投資”でもあります。
「介護脱毛」という言葉には、少し特別な響きがあります。
でも本来は、“人に任せる前に自分で整える”という生活の延長線上にある行為。
清潔を保つことを通して、自分の暮らしを自分で守る――
それが、これからの時代の“生活ケア”なのだと思います。
いまの自分が、少し気持ちよくいられること。
その積み重ねが、将来の暮らしに、やさしいリターンをもたらしてくれるはずです。
「清潔を備える」その先にあるのは、支える人の現実。
次の記事では、介護の現場で清潔を保つことの難しさに迫ります。
この問題意識がどのようにつながり、私が40代で介護脱毛を決意したのか──
その全体の流れはこの記事にまとめています。
→40代男性の介護脱毛|介護現場20年の私が「今こそ備える」と決意した理由

