40代男性の介護脱毛|介護現場20年の私が「今こそ備える」と決意した理由

40代男性が朝の光が入る部屋で静かに窓の外を見つめる後ろ姿。清潔感のある空間で、未来の備えを考える雰囲気を表現した写真。

介護の現場で20年働いてきて、
どうしても忘れられない人たちがいます。
うまく「任せられない人たち」です。

それは、特別なケースではありません。
どこにでもいる、普通の人たちです。
家族や周りの人に気を遣って、
できるだけ自分のことは自分でしようとする。
そんな姿は、私自身ともどこか重なっています。

けれど、そうした「普通の人たち」が
うまくいかなくなる場面を、これまで何度も見てきました。

手を貸されることに申し訳なさを感じたり、
自分ができなくなっていくことを受け入れられなかったり、
助けが必要になっても言い出せなかったりする。

ほんの小さな遠慮や恥ずかしさが積み重なって、
本来なら保てるはずの清潔や生活が崩れていくことがあります。

身体の衰えよりも先に、
「気持ち」のほうが快適な生活を阻んでしまう。
その現実を目の前で何度も見てきました。

そして、ふと考えるようになりました。
これは、いつかの自分かもしれない

いざ人の手を借りるとき、
素直に「任せます」と言えるだろうか。
迷惑をかけたくない。
適当に扱われたくもない。
そんな気持ちが重なって、
うまく任せられない可能性は十分にあるのではないか。

そんなことを考えているうちに、
「可愛げのある老人になりたい」という言葉が
自分の中でひとつのテーマのように浮かび上がってきました。
頼るときはきちんと頼れ、
任せるべきところは任せられる人でいたい。
そう思うようになったのです。

そんなときに知ったのが「介護脱毛」という考え方でした。
最初は、介助の手間を減らすためのものだと思っていました。
けれど説明を聞くほどに、
本質はもっと別のところにあると感じるようになりました。

毛が減ることで清潔が保ちやすくなると説明されることがあります(感じ方には個人差があります)。
でもそれ以上に、
人に任せるときの気持ちの負担が軽くなる。

「任せていいのだろうか」という迷いも、
「本当は任せたくない」という抵抗も、
そのどちらも少しやわらぐ。

そんな未来の自分への備えになるのではないか。
そう思うようになりました。

この記事では、
私が介護脱毛に出会い、三つのクリニックをまわり、
実際に始める決心をするまでの過程をまとめています。
情報だけではなく、
なぜ40代の今、この選択に腹落ちしたのか。
その気持ちの部分も含めて、正直に書いています。

男性介護士が、高齢の男性の腕を支えて立ち上がりを補助する後ろ姿のシーン。顔は映らず、日常の介助の一瞬を捉えたもの。

社会人になってしばらく、私は営業職に就いていました。
ただ、“欲しくないものでも欲しいと思わせる”ことが求められる仕事に、
どうしても馴染めませんでした。

そんな自分にとって、介護の仕事は正反対でした。
困っている人がいて、助けを求めてくれる。
そこにできる範囲で応える。
その構造が、とても自然で心地よかったのです。
「これなら、自分にもできるかもしれない」と思い、介護の道に入りました。

ところが、現場に入ってすぐに気づきました。
“困っているのに助けられない”人たちがいる、ということに。

清潔が保てていないのが明らかでも、
本人が援助を拒むことがあります。
こちらが強引に踏み込めば、尊厳を傷つけてしまう。
声をかけても「大丈夫」と返される。
それ以上踏み込めなくて、結果として何も変えられない。

お互い遠慮してしまうばかりに、
本来なら守れるはずの清潔や生活の土台が揺らいでしまう。
そんな場面に、何度も直面してきました。

援助を拒む人たちは、頑固でも特別でもありません。
むしろ、とても「普通の人」でした。

──迷惑をかけたくない。
──自分でできなくなることを認めたくない。
──頼んでも、望んだ通りにはやってもらえないかもしれない。

そんな気持ちが重なり合って、
うまく任せられなくなってしまう。

結果として、
本来なら保てるはずの清潔が保てなくなる。
生活の質も、少しずつ下がっていく。

身体が限界を迎える前に、
気持ちのほうが先に“壁”をつくってしまう。
そんな現実を、私は間近で見続けてきました。

これは、いわゆる「困難事例」だけの話ではありません。
もっとささやかな、日常の中にも表れます。

半身麻痺のおじいさんがいました。
とても穏やかで、感じのいい方です。
けれど、自分では陰部をしっかり洗いきれません。
オムツの中は蒸れやすく、失禁もあり、
入浴のたびに臭いが残っていることがありました。

こちらが代わりに洗うこともできます。
でも、本人は「いや、いいよ」と遠慮する
本当は手を貸したほうが清潔に保てるのに、
こちらも無理に踏み込んで傷つけたくはない。

そのせめぎ合いのまま、生活が続いていくのです。

こうした“小さな困りごと”は、実はどこにでもあります。

そして最近、ふと思うことがあります。

これは、未来の自分かもしれない——と。

老い、病気、気力の低下。
家族がいない、頼れる人がいない。
介護職員も不足していくかもしれない。

そんな環境の中で、
「任せられない自分」になってしまう可能性は
十分にあり得る。

誰よりも“普通の人”である自分が、
同じように「いや、いいよ」と言ってしまうかもしれない。
そう考えたとき、胸の奥がざわつきました。

だから私は、
“可愛げのある老人になりたい”と思うようになりました。

任せるべきところは素直に任せられる人でいたい。
相手に気を遣わせすぎず、
でも適当な扱いをされずに済むような、
そんな距離感でいられる人。

そのためには——
老いが訪れる前に、
「気持ちを軽くする仕組み」を整えておく必要がある。

そう思うようになったのです。

40代男性が自宅で本を読みながら考え込む後ろ姿の写真。介護脱毛という概念に出会い、情報を理解しようとしている場面をイメージした構図。

正直に言えば、私は長い間、
“脱毛は美容目的のもの”だと思っていました。
清潔のためというより、
若い人たちが見た目を整えるために通うものだと。

ところがあるとき、
「介護脱毛」という言葉を目にしました。

最初は半信半疑でしたが、
説明を読み進めるうちに、まったく別の世界が見えてきました。

介護脱毛は、美容ではなく“清潔ケア”として語られていたのです。
将来、誰かの手を借りる瞬間のために、
あらかじめ整えておくという考え方でした。

そして思いました。

これは、手間の話ではない。
“気持ちの話”なんだ。

介助を受ける側の気持ち。
介助する側の気持ち。
その両方を軽くするための仕組みなのだと、
すっと腑に落ちました。

介護脱毛について調べるうちに、
その“本質”が見えてきました。

毛量が減るという変化は、
単に清潔が保ちやすくなるだけではありません。

介護の現場での経験から、毛が少ない状態を想像すると
次のように感じられる場面がありそうだと私は思っています
(もちろん個人差があります)。

  • 陰部やオムツ内の蒸れや臭いが、いくらか軽く感じられる場面があるかもしれない
  • ボディケアやふき取りの時間が、以前より取りかかりやすく感じられることがある
  • 触れる範囲が少なくなることで、踏み込む側の心理的ハードルが下がったように感じられる瞬間があるかもしれない
  • 踏み込ませる側の気まずさや申し訳なさが、少し和らいだように感じられることもある

つまり“毛を減らす”という行為が、
頼みにくさ・頼まれにくさを軽くする助けになることもあるのではないかと感じています。

介護では、
身体の衰えよりも先に、気持ちのほうが生活を難しくしてしまう場面が少なくありません。
その現実をずっと見てきた自分には、
この考えが自然に受け入れられました。

「これは、自分に必要なケアかもしれない」
そう思うまでに時間はかかりませんでした。

さらに、
“40代はまだ間に合う”という情報にも出会いました。

カウンセリングでは、
「医療レーザーは黒い毛に反応しやすいと言われている」
「白髪が増える前のほうが、変化を感じやすい方もいる」
脱毛に必要な期間については、「おおよそ1〜3年ほど」
といった説明を受けました(いずれも効果には個人差があります)。

将来いつか介助が必要になる場面が訪れたとしても、
40代からなら準備の時間を取りやすいと感じました。

“いつか”ではなく、“今”だからできる準備 なのだと実感しました。

この現実性が、
私の背中を大きく押しました。

カフェの窓際で、複数の資料を広げて比較検討する40代男性の後ろ姿。3院を回る前に情報を整理している様子をイメージした写真。

脱毛に興味を持ち始めたとはいえ、
「本当に自分がやっていいのか?」
という迷いはしばらく残っていました。

そんな中、実際に3つのクリニックをまわることで、
心のハードルが一つずつ外れていくのを感じました。

最初に訪れたのは、SBC(湘南美容クリニック)。

最初はかなり緊張していました。
美容クリニックという場所に、自分が来ていいのだろうか。
受付の雰囲気や、若い方たちが行き交う空気に、
どこか場違いな感覚があったのを覚えています。

ところが、カウンセリングが始まると、
その緊張は少しずつ薄れていきました。

介護脱毛の話題も特別なものではなく、
“清潔ケアの一つ”として自然に扱われていた のです。

「男性の介護脱毛、増えていますよ」

その一言で、胸の奥にあった抵抗がふっと和らぎました。

「あ、男性でも普通にやっていいんだ」

初めてそう思えた時間でした。

次に訪れたのが、ゴリラクリニック。
男性専門というだけで、場の空気がまったく違いました。
緊張よりも先に、自分の居場所のような安心感がありました。

カウンセリングが進むにつれ、その理由がわかってきました。

VIOの経験値が高いだけでなく、
“男性の体の前提”を深く理解している という印象が強かったのです。

男性は肌の色が濃かったり、
普段のケアがあまり行き届いていなかったりすることもあります。
そうした状態を前提にした説明が続き、
恥ずかしさよりも「わかってくれている」という安心感のほうが大きくなりました。

痛みについて、見られ方への不安、施術の流れ。
聞きにくいことも自然に聞けるのは、
男性専門ならではだと感じました。

そして初めて、
「ここは本当に任せて大丈夫だ」
と心から思えました。

最後に訪れたのが、メンズリゼ。

ここで感じたのは、
私にとっては、“現実的に通いやすい選択肢” だということでした。

料金体系はシンプルでわかりやすく、
出力調整や痛み対策の説明も丁寧。
患者が迷いやすいポイントを先回りして整理してくれる印象がありました。

3院を回ったことで初めて、
「比較しても納得できる」という感覚が生まれました。

そのうえで、
通いやすさやカウンセリングの雰囲気を含めて考えた結果、
私はゴリラクリニックを選びました。

どこが“良い・悪い”というよりも、
自分の価値観や居心地に合う場所を選んだ という感覚です。

3院をまわり終えた頃には、
最初にあった抵抗はほとんど消えていました。

清潔のため。
未来の自分のため。
誰かに任せるときの気まずさを減らすため。

その理由が一本の線につながっていき、
気持ちはもう固まっていました。

「始めてみよう」

自宅のキッチンでコーヒーを淹れる40代男性の後ろ姿

3つのクリニックを回って、
自分の中の「脱毛」というイメージは、大きく変わっていきました。

美容でも贅沢でもなく、
「生活を丁寧に整えていく行為」なのだ と。

それは、未来のためだけではありません。
実は、“今”の生活にも静かに効いてくる。

そう気づいたとき、
介護脱毛が自分の生活にどう役立つのかが、
具体的に見えてきました。

将来、誰かの手を借りるとき。
毛が減っているだけで、気持ちが少し軽くなるのではないかと感じています。

こんな変化が想像できます。

  • そもそも人に頼らずに済む期間を、少しでも伸ばしていけそうだと感じられる
  • 助けてもらうときの気まずさが少なくなりそう
  • 相手が踏み込みすぎなくて済むかもしれない
  • 尊厳を守りながら、人に任せやすくなりそうだと感じられる

介護の現場にいて思うのは、
人は身体の限界より先に、気持ちが壁をつくってしまう ということです。

だからこそ、気持ちの負担を軽くする準備は、
未来の自分を救ってくれる一手になる。

「可愛げのある老人でいたい」
その願いを実現する、ささやかだけれど確かな方法だと感じています。

介護脱毛は“将来のため”だと思っていましたが、
調べるほどに 今の生活にもメリットがある と気づきました。

たとえば、こんな変化があるかもしれません(感じ方には個人差があります)。

  • 蒸れやニオイが軽く感じられる場合がある
  • ボディケア・ふき取りがしやすいと感じられることがある
  • 汗ばむ季節の不快感が少し和らぐと感じる方もいる

そして、個人的に意外だったのが「家に落ちる体毛が減りそうだということ」です。

40代になってから、いつの間にか毛が家のあちこちに落ちていて、
掃除のたびに「ああ、またか」と思う場面が増えていました。

それが減るだけでも、
生活のストレスはかなり軽くなるはずです。

“未来のため”のケアのつもりが、
“今の自分を気持ちよく過ごすケア”にもなる。

それは、想像以上の発見でした。

ここまでの流れを振り返ると、

  • 現場で抱いてきた問題意識
  • 介護脱毛という概念との出会い
  • 3院での体験
  • 日常で感じていた小さなストレス

これらが一本の線につながり、
「40代はちょうどいい」 という確信へと変わりました。

レーザーが反応しやすいという現実性もありますが、
それ以上に、

未来の自分を軽くする準備と、
今の自分を生きやすくするケアを
同時にできる時期。

それが、今の40代なのだと思います。

この“二重の意味”に気づけたことが、
私にとっての大きな収穫でした。

柔らかな光の中を歩く40代男性の後ろ姿。未来へ向けての一歩を象徴するイメージ。

介護脱毛は“誰かの負担を減らす準備”であり、
“これからの自分を軽くする選択”だった

介護脱毛について調べ、実際に三つのクリニックを回ってみて、
私は「毛を減らすことそのもの」よりも、
その先にある気持ちの変化に価値を感じるようになりました。

「可愛げのある老人でいたい」
そんな願いは、ただの理想論ではなく、
日々の小さなケアで近づいていけるものなのだと思います。

任せやすい自分をつくる。
誰かに手を貸してもらうときの気まずさを減らす。
そして、今の自分が少しでも快適に暮らせるようにする。

介護脱毛は、その全部に静かに関わってくれるような選択だと、今は感じています。

40代は、未来と現在のどちらにも目を向けられる年代です。
もし同じような不安や迷いがあるのなら、
一度、情報を整理してみる価値はきっとあると思います。

介護脱毛をどこで受けるか迷う方には、
三院を比較したこちらの記事が参考になります。

40代男性が抱えやすい疑問をまとめたQ&Aはこちらです。

自分のペースで、少しずつ。
そのくらいの気持ちで向き合っていけば十分だと思います。

価値観を踏まえて、実際に“どう考えていけば後悔しにくいか”をまとめたガイドもあります。
40代男性の介護脱毛 完全ガイド|必要性・後悔・回数・料金・クリニック選びまで“全部わかる”1記事

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